砧村散歩~愛と詩と郷愁の画家 谷内六郎さん
砧村散歩では、この町の良いところや、砧村の昔のお話などを掲載しています。
今回は画家の谷内六郎さんのお話です。
谷内六郎さんは、1921年東京に生まれ、尋常高等小学校卒業後にさまざまな仕事を体験しながら絵を描き続けました。幼少期より喘息に悩まされ療養生活を余儀なくされた時期もあったそうです。1956年(昭和31年)『週刊新潮』の創刊と同時に表紙絵を担当し、急性心不全のため59歳でご逝去されるまで、26年もの長きにわたり多くの人々の心を魅了し続けました。
谷内六郎さんは、昭和33年より「砧」にお住まいでした。昭和33年といえば、まだ砧にも武蔵野の名残があちこちにあった頃ですね。谷内六郎さんは奥様と二人のお子様に恵まれ、砧の地で絵を描き続けたのです。
谷内六郎さんの作品は『週刊新潮』の表紙絵以外にもたくさんありますが、「横須賀美術館」の「谷内六郎館」では『週刊新潮』の表紙絵原画を中心とした展示を行っています。その「谷内六郎館」を数年前に訪れた砧町町会の竹内秀雄監事は、絵の魅力はもちろんのこと、表紙絵に添えられた谷内六郎さんご自身による「表紙の言葉」にも深い関心を持ちました。
春の暖かさを感じる3月の佳き日、谷内六郎さんの長女である谷内広美さんが、砧町町会事務所に来てくださいました!そして、砧町町会の竹内秀雄監事と対面し、在りし日の谷内六郎さんのお話をたくさん伺うことができました。これは、砧町町会HP編集者で総務部の松原が、谷内広美さんとは高校の同級生で、さらに青春の多くの時間をともに過ごした親友であることから実現しました♪
コラムニストの故 天野祐吉さんは、ご自身が若い頃からずっと谷内六郎さんと親交があったそうです。「谷内さんは、人間のこころの奥底に沈んでいる原風景を、あるがままに描きつづけた画家である。ぼくらがどこかで見失ってしまった風景を、決して見失ってはいけない風景として描き続けた人だと言ってもいい」と谷内六郎さんの作品集に寄せたコメントのなかでおっしゃっています。ああ、だからそうなんだな。だからいつ見ても懐かしく温かく、ときには泣きそうになってしまうんだ…。あなたはどのように感じますか?