砧村散歩~区立三峰公園~砧土地区画整理組合の事業について
砧村散歩では、この町の良いところや、砧村の昔のお話などを掲載しています。
今回は「区立三峰公園」について、「砧土地区画整理組合の事業」との関係をお話したいと思います。
8月22日(日)、今朝も午前8時30分より、三峰公園の清掃を行いました。
大雨の日々から一転、好天が続いて公園の利用が増えたからなのか、公園には飲料のペットボトルや缶がいくつも捨てられていました😢皆さん、飲んだら捨てないで持って帰ってくださいね~
さて、この写真、「石碑」の前で撮りましたが、長島会長が「この石碑のことも一緒に載せてね」とおっしゃいました。あっ、そうだ!確か「砧の土地整理」のときに、この公園を作ったんだ!と思い出しました。
大蔵山野(おおくらさんや)は、古くから川に悩まされ、「雨が降れば洪水、晴天が続けば干ばつ、何とかしなければ農業はやっていけない」土地でした。小田急線が開通するとあちこちに住宅が建ち、その生活排水にも苦慮していました。
そこで、土地の人々が「区画整理」を志し、「狭く折れ曲がった泥道を、広く舗装された道路にする」「小さな公園をいくつか作り、子どもたちの遊び場を確保する」ことなどを、行政や地域住人と相談をしながら推し進めてこられました。
その道は、決して平坦なものではなかったようです。13年もの長い年月をかけて、地域の人々が、現在の住みよい「砧」「山野」(さんや)を作ってくださったのです。
この石碑にある「砧土地区画整理組合」というのは「区画整理」をすすめた地域の人々で設立した団体です。その事業のなかで「三峰公園」「草山公園」「観音公園」「西山野公園」が設置されました。
それぞれの公園に「石碑」がありますので、ぜひご覧になってください。このホームページでも順にご紹介していきたいと思っています。
「砧土地区画整理組合」のすべての事業が終わり、組合は昭和55年に解散します。当時、組合の総代の一人であった、我が砧町町会の故 竹内淳夫会長は、「砧土地区画整理組合の歴史」のなかで、「この整備された町内を、一層明るい住みよい町にするために努力することを誓います」と述べておられます。私たちもこのお言葉に、身の引き締まる思いです。
先人のご努力のおかげさまで、現在の広い便利な道路があります。4つの素晴らしい公園があります。
そのすべてに感謝して、この砧、山野の町を、私たち住人の手で守っていきたいと思います。
最後に、「三峰公園」という名前について、「砧土地区画整理組合の歴史」のなかに書かれていることを転記させていただきます。
砧町の鎮守の社、三峯神社の裏側に設置された公園で、神社とは表裏一体のところから、三峰公園と名付けたものである。
地積 1,076㎡
地番 砧239番の6
完成年月 昭和54年10月