砧村散歩~三本杉の由来
砧村散歩では、この町の良いところや、砧村の昔のお話などを掲載しています。
今回は「三本杉」のお話です。
週末になりました。
明日は昼間の気温が30℃を超えるそうですよ😅皆さま、熱中症にはお気をつけくださいね。
我が砧町町会でも、明日は「ごみゼロの日」の地域美化清掃活動を行う予定にしています。「こまめに水分、摂らなくては」ですね😉
さて、今日は「三本杉」の地名の由来についてのお話です。
環状八号線と世田谷通りの交差点のことを「三本杉陸橋」と呼びます。
付近には「三本杉」という名のバス停もあります。
この「三本杉」という地名はどこに由来するのでしょうか?
諸説あるようですが、私が知っているのは、「横根稲荷神社」にまつわるお話です。
「横根稲荷神社」は、旧世田谷通りを南に上がったところにある静謐なたたずまいの神社です。
旧横根村の鎮守として、皆の信仰のよりどころとなってきました。
横根稲荷神社の境内に、かつて杉の木があり、その根元には大きな「空洞」があり、上部は「三又」に分かれていたそうです。
それゆえに、横根稲荷は「三本杉のお稲荷さま」と呼ばれていたそうです。
そうです。「三本杉」とは、杉の木が3本あったのではなく、1本の杉の木が三又に分かれていて3本あるように見えた、ということなのです。
現在の境内には杉の木はありません。
私も、この説をずっと信じておりました。
ところが…。
「本当に杉の木が3本あった!」という民話があることを、長島会長が大蔵東部町会の方々から聞いてきてくれました。
その民話「三本杉はよいお杉」のあらすじをお伝えしますね。
「杉が火をふいた!」
「大杉の根元がぱっくり開いて、血を出した!」
世田谷村と用賀村のさかいに新道を作るため、ご先祖が植えた杉の木を切り倒していたときのことです。
「杉の精がおこった!村にも家にもたたりが必ずおこる」
「おらはいやだ!杉を育てた昔の村人に申し訳ない。もう、まっぴらだ!」
と、木を切るために雇われた百姓たちは作業をやめてしまいました。
お役人はたいそう怒り「百姓が作業をなまけるための作り話だ!」と言いましたが、誰も作業に行きません。
ある日、村の名主が大杉の倒されたところに行くと、どこからか声がします。
耳をすますと「三本だけ残しておくれ…」とかすかに聞こえます。
それは、風はなに乗った杉の霊のことばだったのです。
さっそく役人にお願いして、三本だけは残すことにしてもらいました。
世田谷と用賀の村さかいの三本杉は、父杉、母杉、子ども杉と名づけられ、新道のかたわらにすくすくと育ち、村人にも旅の人にも大切にされました。
いかがでしたか?
どちらも良い話ですね。
いにしえの「三本杉」に思いをはせながら、ぜひ「横根稲荷神社」にお参りください。
横根を愛する方々に、今も大切に大切に守られているお稲荷さまなのです。