「お焚き上げ」~年神様は野山にお還りになりました~
砧村でも昭和の初期までは「歳の神」(さいのかみ)が行われていました。
この神事は、子どもたちが主体になって行う村の行事です。
「歳の神」は8本前後の太くて長い猛宗(もうそう)竹を立てた竹の塔です。
下の方に2~3坪ほどの部屋を作り、そこでは子どもたちが前日から夜を徹してさまざまな遊びをして楽しんでいました。
1月14日の朝、「もっしゃうぞ!」と子どもたちの黄色い声が響き渡り、「歳の神」のお焚き上げが始まります。
小森に包まれた静かな村の家々からは、半纏のふところにお餅を入れた人々が集まり、「歳の神」に火がつけられます。
竹の塔は勢いよく燃え上がり、火にあぶられて竹の割れる音が「ボーン、ボーン」とあたりに響きます。
やがてお神酒が配られ、残り火を寄せて家族の分だけお餅を焼きます。
この行事は昭和10年頃、近くの宇奈根で不幸な事故が起きて以来、行われなくなりました。
その後も宅地化がすすみ、火災の危険があるとのことで中止されております。
現在では神社の境内などで小規模ながら行われております。
~砧地区ミニコミ紙「砧のひびき第33号」(平成9年2月10日発行)「歳の神」より抜粋)~
この時期になると、私はいつも「砧のひびき」のこの記事を読みます。
三峯神社では、数年前より、境内でのお焚き上げをやめて、矢藤総代が所有する沼津のお山に運んで、そちらでお焚き上げをするようになりました。
今年も講中、世話人の皆様により、おさめられたお札やお守り、そしておみくじなどは、丁寧にトラックに積み込まれ、晴天のもと、一路沼津に運ばれていきました。
そして、心をこめて清酒でお清めをしたあとに、火がつけられました。
火の神様のお力をいただき、年神様、神仏の拠り所であったお札やお守りは、野山に還っていきました。