これからも大好きな学校で~山野小学校開校60周年記念式典・祝賀会
11月11日(土)、午前10時30分より「山野小学校開校60周年式典」が挙行され、続いて午後12時15分より「記念祝賀会」を行いました。

昭和38年9月1日、山野小学校は「世田谷区立砧小学校分校」として開校いたしました。
第一期校舎落成(西校舎:鉄筋三階建て)が昭和38年6月26日でしたので、開校記念日は6月26日となりました。
「世田谷区立山野小学校」という名称で設立開校したのは、翌年の昭和39年4月のことでした。

10年前の「開校50周年」のときに、「創立」なのか「開校」なのか、表記があいまいになっていたため教育委員会事務局にうかがったところ、山野小学校は砧小学校の分校として作られたので、「創立」ではなくて「開校」です、というお話でした。
そのお話を受けてからは、「開校」で統一しています。

さて、「開校60周年」に向けて、山野小学校では「開校60周年実行委員会」を組織しました。
砧町町会からも、長島会長をはじめ理事と協力員数名が、さまざまな立場で実行委員会に参加をさせてもらっています。
「記念式典」は学校の主催ですが、「記念祝賀会」は実行委員会の主催です。

だいたい祝賀会はPTAの主催でおこなう学校が多いのですが、山野小学校では、10年前の「開校50周年」も、6年前の「新校舎落成祝賀会」も、PTAではなく、それぞれ「実行委員会」「学校運営委員会(+学校協議会)」の主催で行いました。
そうなんです。
山野小学校では、PTAだけではなく地域の方々の協力があって、さまざまな事業を行っているのです。

そのあたりを先生方に理解していただくのに、思いがけず時間がかかってしまいました
今回の「記念祝賀会」でも、司会は「学校支援コーディネーター」(学校の求めに応じて、地域の方々に授業に協力いただけるようにコーディネートする役割を担います)でした。

お楽しみの「アトラクション」も、地域の方々と卒業生の圧巻のパフォーマンスでした。



長島会長は、昨日は副実行委員長として「開会のことば」を担当し、そのあと「乾杯」が終わるとすぐに和響太鼓の出で立ちにお着替えで(つまり、ほとんどお料理を食べていない)、午前中の太鼓の搬入も含めて、大忙しの一日となりました。


もちろん、いつものように和響太鼓の演奏は最高にかっこよかったです!
会場からは割れんばかりの大きな拍手が巻き起こりました。


アトラクションの2番手は、法人格砧町自治会協力員の原ゆかりさんによるヴァイオリン演奏です。
今回は同自治会の理事で民生児童委員の阪西さんもピアノでご参加です。
お二人の奏でる美しい演奏に、会場の皆さまはうっとりと聞き入っていました。


最後は、卒業生チームによるパフォーマンスでした。
3名全員が卒業生であり現役の音大生、学大生です。
サンサーンスの美しい調べのピアノ連弾、そしてバリトンの歌唱では、涙している方もいて、大きな感動に会場(多目的室)は包まれました。


卒業生が山野小に在籍していたときの校長先生や音楽専科の先生も参加されていましたので、先生方はどれほど感激されたことでしょう。
再会の喜びを分かち合っている姿を見ると、こちらもうるうるしてしまいました。


進行が上手だったのですいすいと会が進み、少し時間がとれそうだったので、急きょ、山野小の教職員の皆さまに舞台にお集まりいただき、音楽専科の縣先生のピアノ伴奏で「山野小学校校歌」を歌っていただきました。

もちろん、卒業生も、歴代の校長先生も、旧職員の方々もご一緒です。
その光景を見させていただき、あ~、今回も無事に終わって(まだ終わっておりませんでしたが)よかったなぁ、と思いました。

お開きのあと、皆さま口々に「とても良かったよ!」「感動した!」「来てよかった!」と言ってくださり、実行委員長としてのわたくしの責務は、皆さまのおかげさまで無事に果たすことができました。本当にありがとうございました。

一日経っても、「記念式典」での6年生の心を揺さぶる歌声と演奏、そして「記念祝賀会」での皆さまの素晴らしいパフォーマンスがまだ胸にあります。
たくさんの感動と、皆さまが見せてくれたとびきりの笑顔も、一緒に胸にあります。

これからも大好きな学校で。
山野小学校は開校61周年に向ってあゆみはじめました。